「美のしらべ」(毎日新聞99.10.20)
『赤いクーペの美しい人』
私が初めて「この人は美しい」と感じたのは、中学2 年生の時。通学バスを待つ朝の澄んだ空気の中で、偶然見かけた女性だった。
信号待ちの車を眺めていた私の目の前で、突然、一台の赤いクーペから静かに降り立った女性は、誰の目にも「美しい」と映るであろう若さ溢れる美人。白いシャツに紺のパンツという服装は清潔感を漂わせ、なにより長い髪が綺麗なひとだった。そしてトランクから何かを取り出すと、運転席にしなやかに滑り込み、信号が変わると同時に音もなく発進していった。その姿は、私の憧れの女性像となり、その後「美しさ」について考えるときには必ず目に浮かぶほど印象的だった。
考えてみれば、ほんの数秒間の出来事だったのに、これほど心に刻まれているのはなぜなのだろう。幾度となくそのシーンを思い返すうちに、その女性の美しさには、顔やスタイルが整っているということ以外に、少なくとも、二つの要素があることに気づいた。
まず一つは、「赤いクーペ」である。もちろん「クーペ」のもつスポーティなイメージに加え、「赤」という色のインパクト、そして車の色まで考慮したような、赤・白・紺のトリコロールカラーのコーディネイトは、彼女のセンスの良さをうかがわせる。しかし、それよりも、生身の人間では本来到達できない距離や時間を自分のものにできる「車」をスムーズに操っていた彼女が、まるで自分の可能性をもコントロールしているかのような凛とした姿勢を見せていたことである。
二つめは「エレガント」という形容が最もふさわしい、美しい身のこなしである。彼女は、単に「赤いクーペに乗った綺麗な人」という次元を超えて、まさに「エレガント」だった。ドアの開け方も乗り降りの仕方も、安全確認のときの顔の向け方も、すべてが流れるような美しい動作だった。きっと、車線変更のときの後続ドライバーへの会釈もエレガントにちがいない。これは運転の上手下手とは別の問題だ。
「凛とした姿勢」と「エレガントな身のこなし」。どちらも自分をしっかり意識して、心と身体を上手にコントロールすることが必須である。あの完ぺきなまでの美しさの印象を形作っていたのは、美しい外見だけではなかったのだ。「美しさ」の鍵は、実は、目に見えないところにあるのかもしれない。
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