「美のしらべ」(毎日新聞99.11.17)
『ピカソの目』
失敗した福笑い。ピカソの描く抽象画の女性を見て、そのように感じる人もいるだろう。実物を写実的に再現したものとは明らかにちがうからだ。たとえば、左目は正面から見たものであるのに、右目は横から見たもので、さらに鼻筋は下を向いている、というように。あるべき形を持たないものに違和感があるのは当然ともいえる。
しかし私は、ピカソの描く女性を美しいと思う。いろいろな角度から見た画像が組み合わされたような女性のポートレート。そこには、その女性の姿を一面でなく、あらゆる側面から捉えたピカソの「目」がある。たとえばこの絵。しっかりとこちらを見つめているような瞳の色、頬から首にかけてのなだらかなライン、唇の柔らかな膨らみ。彼女の鼻はどこからみても形が整っている。ピカソは、彼の目を通して集めた美しさの情報すべてを、一枚の絵の中に表現しようとしているかのようだ。
知覚心理学では、人間の視覚は脳が作り上げるといわれている。私たちが「見ている」と思っている像も、実は網膜の捉えた一瞬一瞬の画像を、空間と時間の情報、過去の経験や知識などを駆使して脳が組み立てているのだ。「美しい」という認識は、頭の中でイメージを完成させた結果、脳が生み出しているのである。ところが、ピカソは、脳が完成したイメージではなく、組み立てる前の要素、しかも、単なる断片ではなく彼自身がその目で取り出した美のエッセンスを凝縮して、描いているように、私には感じられる。イメージの構築を観る者の脳にまかせることで、より美しい世界を創り上げることが可能になっているような気がするのだ。
私たちは、鏡を見て自分の姿を確認するけれど、他人の目には違う姿が映っているかもしれない。まわりの人は、私たちを認識するために、私たちの目の届かないところにある情報を利用している可能性があるからだ。誰もが持っているであろう自分では気づかない美のエッセンス。残念ながら、そのすべてを前面に並べてくれる「ピカソの目」のような鏡はないので、自分の持てる「本質的な美」を抽出して磨くためには別の目が必要になる。
他の人を見るときには、無意識にできることだが、その同じ目を自分に向けることはむずかしい。それができたとき、美しくなるヒントを発見できるのではないだろうか。
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