[7]きれいになれるEssay集

「美を奏でるもの」-2
その昔、女性の社会進出が認められなかった時代には、女性が「自分を表現する」という概念は希薄だっただろう。日本では、一律に、緑の黒髪に目はぱっちりと色白で、といった美しさの条件あるいは基準のようなものがあり、女性はみなそれを意識していた。くびれたウエストをつくるために窮屈なコルセットを締めた西洋、小さな足こそが女性らしさの象徴で、上手に支えられずヨロッとするのが美しいとさえ言われて無理やり木靴に足を入れて成長を妨げた中国など、今から見れば受け入れがたい風習と感じてしまうことも、美しさの基準に自分を合わせるために涙ぐましい努力を重ねてきた女性たちの歴史である。与えられた枠に自らを当てはめることで美しくなろうとしていた証である。
時代は変わり、女性たちが自分のライフスタイルを持ち自分を知るにつれ、美しさの基準も一律には決まらなくなった。そして単に基準を満たすだけでは、自分にも他人の目にも「美しい」とは映らないことがわかってきたのである。しかし自分を自由に表現できるようになったその一方で、美しさを演出する努力を自分に課さねばならなくなった。美しくなるためには、自分をよく知らなければならないし、そのためには、客観的に自分を見つめる勇気と目が必要となる。隣の人と同じにしていれば安心できた時代は、過ぎ去ってしまったのである。
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その3