「美を奏でるもの」-5
たとえば、ガングロ・ヤマンバと言われる女の子たちは、一昔前までの「美の基準」とは明らかに一線を画す表現をしている。しかし彼女たち自身、決して自分たちのメイクやファッションを「美しい」とは思っていないのだそうだ。テレビのインタビューなどでも「自分でもこわい」と答えているが、ではなぜそのスタイルを守ろうとするのかという問いには「これが自分だから」ときっぱり断言する。彼女たちの信じるスタイルは彼女たち自身の表現だと言うけれど、実際には、過去のコルセットや木靴のように、ある形に当てはめるものであったり、また、磨けば輝く石のありかを見つけられずに仮面を被って「美」の入り口にたたずんでいる迷子のように、私には見える。彼女たちが自分に自信が持てるようになったとき、そして磨くべき石が見えるようになったとき、仮面をぬいで本来の美しさを表現できるようになるのだろう。
いくつもの要素がからみあう美のハーモニーにとって、一番大切なスパイスは、自分を大切に思う気持ち、他人を尊重する気持ちである。自分を好きになれば、客観的に自分を見つめる勇気が持てるし、美しくなるための努力も楽しめる。他人を尊重し認めることで、本当の意味での美の多様性が生まれる。マンハッタンの地下鉄で乗り合わせた、ヒスパニック系の女の子も、ピンストライプのパンツスーツの女性も、そしてもちろん、中山美穂さんも松嶋菜々子さんも、きっと自分を好きで他人を認めることができる人なのではないだろうか。
制限などないからこそ、「美」を追及することはむずかしいしまた楽しい。自由には責任が伴うように、自由に美を表現するにはそれに見合った意識とテクニックが必要となる。決して枠に当てはめようとせずに、しかし極端な自己表現ではなく、流行の風を感じながら、常に一歩先を進めるようになりたいものである。それができたとき、誰の目にも美しい、普遍的な「美」を創りだすことができるのではないだろうか。
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